養老猛司『唯脳論』

YouTubeでお世話になっている養老孟司さんだが、きちんと書籍で読みたいと思い、原点ともいうべき『唯脳論』を再読した(以前読んだがほとんど忘れているので)。全体を概説するなど到底不可能なので、一番興味深かった「言語の発生」について簡単に紹介したい。

はじめに

現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。われわれの遠い先祖は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく「自然の中に」住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む。

伝統や文化、社会制度、言語もまた、脳の産物である。したがって、われわれはハード面でもソフト面でも、もはや脳の中にほとんど閉じ込められたと言っていい。ヒトの歴史は、「自然の世界」に対する、「脳の世界」の浸潤の歴史だった。それをわれわれは進歩と呼んだのである。

現代人は、脳の中に住むという意味で、いわば御伽噺の世界に住んでいると言っていい。御伽噺に異を立てるのは、現実である。現実とは、歴史的にはつねに自然だった。われわれは、かつて自然という現実を無視し、脳という御伽噺の世界に住むことにより、自然から自己を解放した。現在そのわれわれを捕らえているのは、現実と化した脳である。脳がもはや夢想ではなく、現実である以上、われわれはそれに直面せざるを得ない。

言語の発生

ヒトを特徴づけるのは、言語である。ヒトの脳では、なぜ言語が発生せざるを得なかったのか。言語には視覚の言語と聴覚の言語がある。言語はもともと聴覚言語だとの主張があるが、本当か。言語というものは、音でもあり、文字でもあって、ある時代まで文字がなかったのは、おそらく技術的な問題に過ぎないという議論もできる。私の意見は後者である。その理由はきわめて単純である。文字言語が発生した時点と、それ以前とでホモ・サピエンスという種の脳に、なんらかの生物学的変化があったかというと、これはなかった。このところ数万年、ヒトはさして変わっていない。したがって、聴覚言語と視覚言語の出現時期の違いは、おそらく生物学的にヒトが持っている能力の差を示すものではない。脳の方に違うという証拠がないとすれば、文字がなかったのは外因に帰するしかない。つまり、状況が変化したから視覚言語が生まれたのであって、ヒトが変わったから視覚言語ができたのではない。生物学的な能力から言えば、視覚言語は聴覚言語と同時に用意されていた、と考える方を私はとる。

むしろ一番不思議なのは、われわれが視覚によるものと聴覚によるものを一緒くたにして「言語」と称していることの方である。視覚の特質は、「物事を一目で見てとる」ことにある。写真はその典型で、一瞬の像である。現実に流れる時間という要素が抜け落ちている。音は、画像と違って時間軸の上を単線で進む。視覚は時間を疎外あるいは客観化し、聴覚は時間を前提あるいは内在化する、と言ってよいだろう。この関係は、構造と機能との関係に実によく似ている。この二つの観念がそもそもヒトの頭の中に生じるのは、いわば脳の視覚的要素と聴覚的要素の分離ではないか。構造と機能とは、どう考えても同じ要素の異なる面だと思われるからである。同じ要素を、ヒトの脳の都合で二つに割っている。ヒトの意識的思考が、この二項対立にいかに影響されているかは、物理学の基礎にも、これが顔を出すのを見てもわかる。つまり光は粒子でもあり波動でもある、という話がそれである。視覚系の脳の方から話を詰めれば粒子だが、聴覚系の脳の方から話を詰めれば波動になる。こういう話では二項対立が生じてしまうので、納得しづらい。

ひょっとすると、ヒトの脳は視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば「無理に」つないだのではないか。生物が生きている自然の環境で、音と光は必然的に結びつくものではない。両者が異質であったからこそ、光と音に対する受容器、すなわち目と耳は独立に発生し進化した。両者の連合に関して、強い外的な必然がなかったとすれば、後は内的な必然である。聴覚と視覚とは、いわば脳の都合で結合したのであり、その結合の延長上にヒトの言語が成立しているはずである。視覚と聴覚という、刺激の種類も時間に関する性質もこれほど見事に異なる二つの感覚を、「言語」として統一する。結論を言えば、この連合がうまく成立するに至ったことが、言語成立とほとんど同義だと私は考えている。

こうした視聴覚の連合がいかにして生じるか。大脳皮質の地図は、この問題に対してきわめて示唆的である。聴覚、視覚、体制知覚(主に触覚)の一次中枢は、外側から見た大脳皮質の表面に位置する。一次中枢とは、末梢からの刺激が最初に大脳皮質に到着する部位である。一次中枢の中心に発する、同心円状の波のようなものを直感的に考える。情報処理の波である。これら波はどこかで相互にぶつかりあう。その部分におそらく言語中枢が生じる。

具体的に皮質の地図を眺めてみよう。視覚の一次中枢は後頭葉に、聴覚の一次中枢は側頭葉にある。それらに前方中央に中心溝という溝がある。溝の直後が体制知覚の一次中枢である。側頭葉の一次聴覚中枢寄りに、聴覚性言語中枢すなわちウェルニッケの中枢がある。その上部、頭頂葉には、各回すなわち視覚言語の関する中枢がある。両者からの繊維は、中心溝の前方下部にある運動性言語中枢すなわちブローカの中枢に入る。これがもっとも一般的な言語中枢の表示である。

同じ視覚言語であっても、漢字はより視覚的な視覚言語であり、カナはより音声的な視覚言語である。歴史的に、ヒトがどちらの視覚言語を取ることもできたはずであることは、同じ地中海沿岸でも、エジプトは象形文字をとり、フェニキア人はアルファベットをとったことでもわかる。日本語は今ではその両者を採用している。

脳と身体 エピローグ

社会は暗黙のうちに脳化を目指す。そこでは何が起こるか。「身体性」の抑圧である。現代社会の禁忌は実は「脳の身体性」である。ゆえに脳は一種の禁忌の匂いを帯びる。「心」であればよろしい。そこには身体性は薄い。性と暴力とは何か。それは脳に対する身体の明白なる反逆である。これらは徹底的に抑圧されなければならない。さもなくば「統御」されなければならない。脳はその発生母体である身体によって、最後に必ず滅ぼされる。それが死である。

脳化=社会で最終的に抑圧されるべきものは、身体である。ゆえに死体である。脳は自己の身体性を嫌う。脳の根本的な矛盾は論理にではなく、その身体性にある。だからこそ脳は、統御可能性を集約して社会を作り出す。個人が滅びても、脳化=社会は滅びないですむからである。

かつてわれわれの祖先は、身体性のより強い社会すなわち戦乱の世の後に、同じく支配と統御を目指す、新社会を構築し直した。そこでは死体は社会の「外部」に置かれたのである。むろんそこには死体を扱う「身分」が公式に存在する。しかしそれは「正統なる支配と統御」すなわち「士農工商」の「外にある」という形で統御された。いまだにわれわれはその伝統を背負っている。おかげでわれわれの社会は「本来の健康なる社会」すなわち「統御可能な脳の機能のみを集約するものとしての社会」となった。

ヒトは「外部の自然」を従え、それを統御してきた。多くの賢者が、自然はやがてそれに復讐するであろうと語った。自然を甘く見るな、と。寺田寅彦が「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったのも、そのことであろう。しかし、ここまで来ればわれわれに復讐すべき自然が実はどこにあったかは、もはや明瞭であろう。それは「外部の自然」ではなかった。ヒトの身体性であり、ゆえに脳の身体性だったのである。自然はどこに隠れたわけでもなく、失われたわけでもない。われわれヒトの背中に始めから張り付いていただけのことである。

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(僕の感想)言語は聴覚(音)→視覚(文字)へと数万年を経て進化したので、視覚言語(音)が基本と考えがちだが、音でもあり文字でもあるとの説には新鮮な驚きだった。人類だけが獲得した言語は、「万物の背後に精霊を見た」ことから始まるので、視覚と聴覚の連合が「内的な必然」から成ったときに言語が成立したとするのは全くもって納得です。「内的な必然」とは、攻撃能力も逃避能力も全くなくてほとんど生きてゆけないほどの絶対的な弱者である原初人類が、生きてゆく手がかりを万物を凝視して祈るがごとく探索した結果奇跡的に見出したこと。

脳は自然(その典型が身体)を越えられないことを、肝に銘じること。

「自然(万物)の背後に精霊が見える」写真を撮ることを目標としたい。

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