近藤信行『安曇野のナチュラリスト 田淵行男』

地元の写真家の写真展とブラタモリでたまたま「安曇野」が取り上げられていたので、安曇野に興味を持ち表題の本を読んだ。田淵行男さんのことは『黄色いテント』や『山は魔術師ー私の山岳写真』の著者として知っていたので、もちろん本人への興味関心もあった。すると生まれが鳥取県の大山の近くと分かり、同郷意識からさらに興味関心が増した。同郷の山岳家といえば、何と言っても植村直己であり加藤文太郎だが、それに田淵行男が加わったことは嬉しい限りだ。

山陰生まれの田淵は紆余曲折の後東京で教師などするが、昭和20年(40歳)東京下町大空襲によって「建物疎開」の指令を受け、安曇野に疎開、以後生涯ここに生活の根を下ろす。美しい山、親しい山の友、そして豊かな自然にとりまかれた生活は、なにものにも増して魅力に満ちていたからである。

この本を読んで第一に気付いたことが、田淵行男さんを山岳写真家と認識していたことが浅い捉え方でしかなかったということ。書名『安曇野のナチュラリスト』とあるように、ファーブルと同じ生き方をしたと思えるくらいの、精緻でひたむきな自然観察者であった。田淵はファーブルの時代は未発達であった写真術を駆使したのだが、ファーブルの昆虫写生図と比肩できるほどの彩色画も描いている。山岳写真集のほかに、『ヒメギフチョウ』『高山蝶』『アシナガバチの生態』『大雪の蝶』『山の絵本 安曇野の蝶』など多くの自然科学書を出版している。

アシナガバチの生態観察は、少年時代にその肢体美に心から感動した記憶につながる。その頃の「観察ノート」余白には〈美しいものこそ真理である〉、それらの対象に対する〈愛こそ学問の底流として欠くことのできないもの〉という一節があり、少年時代に培われたナチュラリストとしての根本的な態度をのぞかせている。

田淵の研究方法は、人為的な飼育による方法ではなく自然のフィールドの中での実際の生活の究明に力点を置いたもので、精力的に北アルプスや大雪山などを踏査した。本人曰く「自然から読み取り学ぶ知識が最も正しく、また自然は無限に本が詰まっている図書館」。

高山蝶研究で登山の機会に恵まれた田淵は、生来の写真技術の精密さと的確なシャッターチャンスの把握の妙とをもって、余人にまねのできない芸術としての山岳写真をつくりあげた。撮影に際しては自主性のある目標を定め、意識的計画的でなければならぬことを第一のモットーにして、我慢強く被写体に対して、それが至高に”輝く”決定的瞬間のみをとらえた。ために写真の一枚一枚の完成度には目を見張るものがある。

田淵の門をたたいて山行の供をすることになった水越武(のちの山岳写真家)は、彼の仕事ぶりを紹介し、〈先生の山を写す仕事への打ち込み方の強さ深さ、自然に対するやさしい心づかい〉を読み取って〈偉大なる驚異〉を感じたという。その年田淵は65歳、今なおカメラ、テント、食糧など30キロに近い荷を背負って山に登っている。〈先生の山での生活は、朝がとても早い。日の出る2時間前にはもう起きて活動を開始されている。だから、朝日が昇る頃にはすでに、予定された地点に確実にカメラを据えておられるのである。夏であれば午前2時、秋でも午前3時の起床である〉

如何ですか。ほんの少ししか紹介できませんでしたが、本当に凄い生き方です。少しでも近づけるよう、何度も読み返し肝に銘じておきたい。

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