出口治明『哲学と宗教 全史』6 ~おわりに

研修・読書

おわりに

アメリカの宇宙飛行士の中で、地球に帰還した後に、宗教の道に入る人が少なからず存在する。またアメリカでヨーガ(瑜伽)の見直しも含めて、たいへん多くの新興宗教が生まれている。それはなぜなのでしょうか。はるかな巨人の高さにまで大きく成長した科学や哲学とは無縁に生きてきた普通の人たちの、生きる支えを探すための正直で切実な行動ではないでしょうか。

「本質主義」という考え方があります。すべての事物には変化しない核心部分である本質が存在する。超自然的な原理の存在を認める立場です。この考え方は、構造主義が強く否定している思想です。ところが、構造主義と本質主義の間に、本当の学問的な意味での決着はまだついていません。決着がつきにくいのです。

本質主義的な立場から、オーストラリアの教育家であり神秘思想家でもあったルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、人間の霊的な能力の存在を認めたうえで、独自の教育理論を確立しました。その理論により、初等・中等および職業訓練を行う総合学校を設立した。今日でも世界に900校以上存在している。シュタイナー以外にも、人間が本来持っている才能を子どもたちから引き出そうと数多くの教育者がさまざまに工夫し努力している現実が存在する。

すでに自然科学も脳科学も、そして構造主義の論理も、人間の意識は社会のコピーであって、自由な人間の意志など存在しないと断言している時代です。それでも多くの人々は密かにつぶやいているのだと思う。「そんなこと信じたくないよ」

ここ数年、ニーチェの哲学に関する本が世界的に人気を集めているといわれている。ニーチェは「神は死んだ」と断言したうえで、それでも強い意志で生きる力が人間には備わっているのだと考え、「超人」の思想を構築した。ニーチェより昔のストア派も似たような思想を持っていた。僕(出口氏)はストア派の考え方に憧れてきた。ニーチェとストア派の哲学に共通していることは、自らの運命を受け入れ、そのうえで積極的に力強く生きるという姿勢です。

振り返ってみると、神の存在を考え出した人間がやがて神に支配されるようになり、次に神の手からもう一度人間の自由を取り戻したところ、その次には自らが進歩させた科学に左右される時代を迎えている。それでもこの時代に、人間が招き入れた科学的で冷厳な運命を受け止め、それを受け入れてなおかつ「積極的にがんばるぞ」と考える人たちが少なからず存在しているのです。そのような意思や意欲のある人間の存在が、巨人の肩の上に21世紀の新しい時代を見通せる哲学や思想を生み出してくれるかもしれません。僕たちは今、次代の哲学や宗教の地平線の前に立っているのかな、と考えています。

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以上、要約でした。是非ご自身で読んでみてください。僕自身は哲学にも宗教にもはまることはなかったのですが、最後に出てきたレヴィ=ストロースの構造主義にだけは一時魅かれた思い出があり、『野生の思考』も『悲しき熱帯』も読みましたが、実のところ内容については今は全く記憶にないです。ただ「自然の摂理の前では人間はもっと謙虚にならなければならない」との考え方には100%共感します。

付録的な「おわりに」を独立した投稿にしたのは、筆者に共感したためですが、自分自身の無能さを差し置いて、人類も不完全すぎる存在で未だ未明課題だらけであることを忘れないようにしたいためです。まだまだ追求し続けなければならないのだ。おそらく永遠に。

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