ダーウィン『ミミズによる腐植土の形成』

研修・読書

ダーウィン『種の起源』に続いて、『ミミズによる腐植土の形成』も面白くて一気に読んだ。本書はダーウィンの死(享年83歳)の前年1881年に出版されたが、爆発的な売れ行きを見せたという。本書の内容は、ミミズの習性に関する観察記録と、糞の排泄量の測定に関する記述がその大半を占めているが、何故こんな地味な内容の本が当時のイギリスの人々にそれほど受けたのか?訳者渡辺政隆の解説から紹介したい。

ダーウィンは1836年(27歳)ビーグル号の航海から新進気鋭の地質学者として帰国し、持ち帰った標本と資料の整理、そして社交界デビューで多忙な日々を送っていた。しかし、航海の途中から種の転生(進化)という異端の思想を弄ぶという面従腹背的行為に耽っていたことで心労がつのっていた。翌1837年医師からの勧めもあり、シュルーズベリの実家に里帰りすることにしたダーウィンは、その途中で叔父(母親の兄)で製陶業者のジョサイヤ・ウェッジウッド二世の邸宅メアホールに立ち寄った。そこでライフワークとなるミミズとの対面を果たす。2ヶ月後にロンドンに戻ったダーウィンはそのときのミミズとその排泄物の作用に関する観察を、地質学会で「腐植土の形成」というタイトルで口頭発表した。

ヨーロッバの広範な土地がチョーク(白亜)で覆われているが、それはサンゴが海生動物の消化活動によって砕かれて生成されたものだと考えられる。それと同じで、腐植土は粉々になった岩にミミズが関わることで作られたものだ。

ダーウィン自身は一石を投じたつもりだったが、聴衆は拍子抜けした様子だったという。サンゴ礁の形成やアンデス山脈の隆起を大胆に論じると思いきや、ミミズの糞の話しだったからである。

しかし、ダーウィンの中ではこれらのテーマはすべてつながっていた。地質学の師と仰ぐチャールズ・ライエルが『地質学原理』の中で論じているように、地球は地質学的変化を少しずつ積み重なることでその相貌を変えてきた。造山活動にしても、火山島の沈下とサンゴ礁の形成にしても、ミミズが地中の土を飲み込んでは地表にせっせと排泄する活動にしても、膨大な時間をかけた漸次的な変化が大きな結果をもたらすという斉一説の原理の体現にほかならない。そして、自然淘汰の作用も、少しずつたゆむことなく働くことで新種を生み出す原動力たりうると主張したかったのだ。

1842年(33歳)ダウン村に移住、そこを終の住処とし、ミミズの研究に入ろうとしたが、ビーグル号の航海で調査した地質学的知見の公表、『種の起源』に始まる数々の研究成果の刊行に追われ、ミミズの研究に本格的に復帰したのは1876年(67歳)以降のことだった。そして1881年に本書を出版。

読者にすれば、かの偉大なダーウィン老がミミズごときに法外な関心を向け、かくも嬉々として実験観察に勤しみ、それを大真面目に報告していること、そしてその知能と秘められたパワーを明らかにしたことに感激したのかもしれない。

そもそもミミズとは

英語で人間を意味するhumanは、ラテン語で土壌を意味するhumusに由来している。命は土から生まれて土に戻るという謂(いい)なのだろう。万学の祖アリストテレスは、ミミズが土を食べていることを知っていたからなのだろうか、ミミズを「大地の腸(はらわた)」と呼んだ。

一方、英語でhumusといえば腐植質ないし腐葉土のことである。mould(米語ではmold)もhumusとほぼ同義語だが、a man of mouldというと、「(やがて土に還る、死が定めの)人間」を意味する。

ダーウィンの『ミミズ』によって人々がミミズに関心を向けるようになり、同じく生物学者もミミズを始めとする土壌動物に関心をもつようになった。そして土壌学の分野でも最近になり、物理的錯乱に対し、生物攪乱(バイオターベイション)という概念が注目を浴びるようになってきており、ミミズは「生態系のエンジニア」とも呼ばれるようになっている。しかし、よく分かっていないことがまだまだ多いのが実態である。

今こそ、矮小な生きものの大きな存在価値に目を向けたダーウィンの先見の明と、大自然の前で謙虚であれと説いたソローの思想に改めて学ぶときだろう。

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