井原豊さんの「への字型稲作」

米作り

稲作のテキストや研修会でよく「Ⅴ字型」とか「への字型」といったことを見聞きし気になっていた。12/31の『無農薬・有機のイネつくり』の書籍においても、「への字型イナ作」を唱えた井原豊さんが、成苗・疎植の技術を現代に活かし発展させた先進的農家の一人として紹介されていたので、『ここまで知らなきゃ損する 痛快イネつくり』(上の写真)を読んだ。イネの生理等基本的なことも書かれていたので、備忘録としても役立つようできるだけ忠実にまとめておきたい。

(以下、抜粋)

■痛快イネつくり 基本編

1 これがイネの本当の姿だ

日本のイナ作の原点は「堆肥によるイナ作」。完熟堆肥4トン内外だけで、健苗を手植え疎植したなら以下のような育ちになる。

分げつゆっくり、親茎は日ごとに太く(初期)

田植え後2週間は活着しても葉色は淡い。分げつはスローペースだが親茎は日ごとに太く充実してくる。

田植え後半月を過ぎてからゆっくり分げつが出始め、葉は直立してたれ葉はない。

田植え後1ヶ月で目標茎数の半分、15本までである。畦に立ってみたとき、空間が多すぎて寂しく、1株1株は直立して浅植えしてあれば、株は扇型に開帳している。病気の心配は全くない。これは坪36株植えでも60株植えでも、また機械植えでも手植えでも、健苗であれば、田植え後1ヶ月は同じペースで同じ姿である。

ゴリラのガッツポーズ(出穂前)

出穂30日前(暖地なら9月1日出穂で8月2日頃。田植え後40~45日)、軽く中干しするので、土中の堆肥が分解して効いてきて、イネは豪快に育ってくる。分けつは最盛期になり、色も相当に濃い。

8月お盆頃(出穂15日前)、分げつは増えに増えて、坪36株植えなら30本、60株植えなら20本くらいに必ず増えている。そしてイネの姿が完成してゴリラのガッツポーズのようなイネになる。いわゆる大器晩成のイネである。

限りなく透明に近い緑(出穂期)

穂の出そろう頃のイネの葉色は美しく、透き通った緑色で、直立した止葉は威勢を感じさせる。花粉の香りは炊き立ての新米の湯気の香りを思い出させる。イネは竹と同じ仲間の植物なので、自然に作れば竹もイネも同じ葉色になってくる。

出穂時には、自然のイネはその本能を発揮して、開花受精に都合のよい葉身チッソ濃度に調整する。チッソ肥効が最大に達してはいけないことを本能的に察知して、自分自身でチッソ吸収を手控えているようだ。あるいは出穂というイネのお産で、エネルギーをふりしぼったからでもあろう。

どんな植物も動物も、授精の瞬間は体内のチッソ栄養状態が満腹であってはならない。肥満状態(植物ではチッソ過剰、動物では脂肪過多)ではスムーズな授精は行われない。人工的に穂肥を多くやりすぎたイネは、出穂開花時のチッソ調整を自身でやることができないため、捻実歩合の低下を人工的に引き起こしているのである。

天寿を全うするイネは

堆肥だけの自然栽培のイネでは、地力チッソの供給は刈り取りまで切れ目なく続く。出穂開花時にややチッソ切れを感じる色に淡くなっても、開花受精が終わるとホッとして体力回復のため吸肥力は強くなり、登熟期に入るとまた葉色は復活して濃くなっていく。

2 お上のⅤ字型 私の痛快“への字型”

はじめチョロチョロ、中パッパ

前項の堆肥だけの自然イナ作は、初期が淋しく、中期に盛り上がり、後期にゆっくりと完熟する。

しかし、反当り4トンもの堆肥を入れてイナ作をするということは現実には難しい。従って、化学肥料によって「への字」イナ作にもってゆく。これが手間をかけないイナ作技術の真骨頂である。

化学肥料による「への字」イナ作は、分げつ最盛期または分げつがほぼ終わるころに、元肥のつもりで表層に施肥することに尽きる。だから元肥は極端に減らすかゼロ出発とし、出穂45日前にはじめて元肥のつもりで施肥するのである。への字理論は筆者の発見だが、『イナ作の基本技術』(橋本潮博士著、農文協刊)に書かれている理論と合致する。

間違いだらけのイナ作指導

現代のイナ作指導の主流は松島省三博士が唱えた、いわゆる「V字型理論」。初期に多肥(元肥チッソ6キロを施肥、または元肥4キロと活着後の分けつ肥2キロに分けて施肥)にして、できるだけ早く分けつ茎を確保。さらに出穂40日前には強力な中干しとチッソ中断によって生育を抑制、イネを充分に黄化させて穂肥をやれるイネに育て、短稈多穂をねらって捻実歩合を高める、といった指導。

手植え時代ならⅤ字型でもよかったが…

昔のように成苗の健苗を、坪40株程度に疎植手植えしていた時代はこのやり方で難なく10俵の米を手中した。しかし今はⅤ字理論では米は取れないのだ。なぜか。

それは機械密植だからである。第一苗が悪い。蚊の足のような稚苗を超密植するからである。しかもⅤ字理論が曲解されて極端なことをやる。例えば、①元肥の入れすぎと分げつ肥のやりすぎで、初期茎数確保がゆきすぎている。②中期チッソ抑制がオーバーすぎて、チッソ飢餓状態にまで追い込み、中干しも根が枯れる寸前まで強力な中干しをする。これではイネも瀕死の重傷を負って、生死の境をさまようのは当然だ。その結果、出穂時に穂数が半減するのである。③穂肥をやりすぎる。中期に徹底的にチッソ飢餓に陥れて断食させたイネに、たっぷりの水を与え多量の穂肥を何回もやって果たして食い切れるか。ほんのり色が出るくらいだ。まだ足らん!と次々入れると、モミ枯れ細菌病の褐変モミが出る。

追肥はなぜ45日前まで待つか

「追肥は出穂45日前まで待つ」、これがへの字型イナ作の中心柱。

初期茎数確保型(元肥重点型)で出穂45日前に追肥すると、分げつが飽和状態だから横に広がる余地がなく上空に伸びる。よって下位節間の伸長=倒伏を招く。

イネの分げつは、低位分げつ(一号から三号分げつぐらいまで)は苗自体が細い。それから分げつした茎もやはり細い。疎植1本植え以外は、早く分げつして兄貴分の茎から順番に死んでゆく運命にある。密植の成長曲線は、出穂40日前に1株当たり2100本に達したはずの茎が、出穂時には半分の1200本に減っている。この消えた分けつ茎はほとんど最初に分げつした茎なのだ。

一方、元肥をやらないで、出穂45日前になっても分げつ予定茎数の半分しか取れておらず、しかも色は若竹色で目立って淡いイネにしておくと、二~五号分げつは出にくい。出たとしても生育がゆっくりだから充実するいとまが十分にある。そして、充実した太い茎になってから(出穂45日前に達したころ)、本格的分げつ肥をやると、同じ太さの分げつが出て、そこから太い穂が出る。肥効も穂肥までもってくれ、つなぎ肥不要となる。

元肥朝めし、追肥昼めし、穂肥は夕めし

人間の食事と施肥は全く同じ。元肥は朝めし、出穂45日前の追肥が昼めし、穂肥は夕めし。

今のⅤ字型指導では、朝から酒を食らってベロベロになり、活着後10日にまた食事(10時ころの昼食)。食いたくないのに早昼を食うから胃痛が起こる(イモチ、モンガレ)。ほんとの昼めしは抜くから3時か4時ごろに空腹になって夕めしまで待てない。つなぎ肥を食うか早めの穂肥となる。この早めの夕めしが出穂25日前に当たる。ドカンと食うから止葉肥になってしまって巨大な止葉になって天井を張ってしまう。肝心の夕めしは満腹で食えないので夜中にまた腹が減る、秋落ちである。

一方、朝食(元肥)はごく軽く。(超密植のイネならば、1本1本の働きが悪いから朝めし抜きで良い。)そして、昼食(45日前)はタップリと食う。そうすれば夕食時間(穂肥)までオヤツなしで充分に腹は持つ。夕食がこれまたうまい。そして夜になっても空腹になならない(秋落ちしない)。これが「への字稲作」である。

■痛快イネつくり実際編―痛快、痛恨、ここで差がつく

1 痛快、痛恨、植込み本数で決まる

自然に近いイネの育ち―「への字型」の痛快なイネを作るには、疎植しかない。疎植とは、尺角以上、すなわち坪36株より少ないこと、基本的には株内疎植が大切。

イネ権尊重、1株植込みを減らす

1株の植込み本数は決して5本以上にしてはならない。苗が良ければ1~2本が良い。悪ければ3~4本にする。

5本以上も植えると株内競争(ケンカ)が起こる。株内競争は田植えしたその日から、根のケンカとして始まっている。そして肥料と空間の奪い合いである。お互いに日光を独占しようと葉を伸ばし上空にせりあがろうとする。すると今度は隣の株と根が絡みはじめ、隣の株とのケンカが始まる。強い奴だけが生き残り、1株の中心部に閉じ込められたものは犠牲になる。

2本植えが一番良い。坪何株植えるかということより、1株何本植えにするかということのほうが大事。1株2本にそろえることができれば、1粒の無駄もなく育つ。

2 地力はなくてもよい、あればなおよい

水田には本来、地力は要らない。水を入れる限り地力は永遠に維持できる。8~9俵の米なら地力なんてなくてもよい。化学肥料だけで良い。

イネは灌漑水によって無限に養分が補給される。水中に生えたラン藻などは豆の根粒菌のように空気中のチッソを固定する働きがあるし、土中の嫌気性バクテリアも土中の有機物(前作の株や根)を分解しつくすことがなく、安定的に養分供給する。

もし米が取れなくなったら、それは作り方の問題である。土に甲斐性がないのにムリヤリ密植したり、初期に過繁殖させるような多肥栽培とするから、終わりまでイネを養いきれないだけである。

ただ地力はあればなお良い。「地力に優る技術なし」と言われるように、地力があれば技術は要らなくなる。地力のなしで多収穫するには、神がかり的な技術(知力)を要する。

ムギわらの地力増強力

暖地の二毛作地帯では裏作ムギのわらを全量還元したい。ムギの地力の収奪は想像以上に激しい。裏作にコムギをつくると、その跡のイネは皆目育ちが悪い。

ムギわらの地力増強の力はイナわら以上に大きい。ムギわらをすき込むと、初期育成は抑制されるが、8月に入ってから効いてきて秋まさりに育つ。

モミガラ、これぞほんとの土改材

モミガラは地上最高の土壌改良資材だ。私は今まで1反に2町歩分ぐらいのモミガラを、毎年田んぼに入れてきた。これだけ入れると、厚さ10センチ以上になり、イナ株も切りわらも見えなくなる。

そのあと秋耕するが、土半分、モミガラ半分。5月までに3回ほど耕起すると、チッソ分をやらなくてもモミガラは黒くなっている。田植えのころには、モミガラを入れたかどうかわからなくなっている。

イネにはほとんど障害は出ない。ただし、代かきの時にはロータリーは低回転で、ヒタヒタの浅水で作業しないとだめ。どんなによく腐熟した有機物でも、深水でロータリーを高回転させると水に浮く。

暖地では多量のモミガラを入れても何の障害もないが、冬に積雪のある地域では、あまりの多量では問題があるかもしれないので、注意が必要。1反に5反分くらいの量だったら、どうってことないだろう。

ムギわら同様、モミガラは炭素率の高い粗大有機物なので、腐るとき土中のチッソを取り込む。腐らせるバクテリアがエサにチッソを食うからだ。だから、いつまでも肥料が効いてこず、初期育成を抑え、イネはいつまでも淡い葉色である。そこで肥料をぶちまけるようにして入れるが、それがちょうど出穂45日前か4日前ごろになり、理想的な「への字型」に育つのである。

畑に生のまま入れても同じことが言える。腐りにくいから急激な腐熟がなくガス害もない。通気もよくなる。水分の保持にも役立つ。腐植となって保肥力が高まり、肥料が流亡しなくなる。こんなのをほんとうの土壌改良材というのである。

きゅう肥は生でもよい、腐熟させればなおよい

きゅう肥はモミガラ以上に手に入れやすい腐植の材料である。近くに畜産家のある地域では、イナわらと交換してどんどん入れるがよい。きゅう肥は反当り5トンも8トンも入れられるから、2~3年ですごく土地が肥える。きゅう肥は生でも良い。水田用には冬に入れても良いし、田植え直前に5~8トン入れても大丈夫だ。

鶏糞は普通トン単位で入れない。100キロ単位である。トリの糞は粗飼料を食っていないから肥料成分が濃いが、土壌改良に大きな期待は持てない。鶏糞の効用は、ビタミンの他、アミノ酸、核酸などを含む食べ物のように、化学肥料にない有機態チッソとビタミンの類があることである。肥料成分としてはあらゆる要素があり、完全無欠である。

イネやムギはわら全量を還元してもなお、子実を収奪する。子実の中身はデンプンとタンパク質。デンプンは太陽と水と空気でできたものであり、地力からの収奪ではない。だがヌカ層はビタミン、タンパク質の他、あらゆる成分を含有している。いわばヌカ層は完全な地力からの収奪である。このヌカ層の還元のために、ヌカを食った動物の糞の還元が必要となるのである。特にビタミンの補給としてである。

多量の有機物を入れることのできない農家、イナわらだけの還元にとどまる農家は、地力の永久保持のためには、鶏糞を毎年100~200キロ入れてみたい。ビタミン剤程度の効き目を期待するだけでも良い。人間と同様、植物にもビタミンは不可欠である。

6 こんな水管理が根を弱らせる

水根か畑根、どちらかで一生を通す

定植した時から水中生活した根は、一生水中で生活しなければならない。水中にある根は、レンコンのように空気の通る穴が開いていて、葉から供給された酸素の通るパイプがあるから、水中で生活できる。それとは逆に苗の定植時から畑状態で土中酸素にこと欠かないときは、根は空気パイプがなく、少ない土壌水分を吸うために毛細根が多い屈折ヒゲ根(酸化根)となる。こんな根は水中に入れば窒息して腐ってしまうので、水根か畑根か、どちらかで一生を貫くような水管理が必要となってくる。

水に慣れた根を畑根に変えるな

白く乾くほど中干ししたら根はどうなるか。今まで直根のヒゲの少ない水根は、水分を求めて細いヒゲ根に変わり、空気パイプのない畑根になってしまう。そして深く伸びることをやめる。この過程で水分と養分の供給が少なくなり、イネの地上部の生育はお休みとなる。そして下葉枯れがはじまる。

中干し後の湛水は根腐れを呼ぶ

中干しが終わってたっぷりと水が入ると、3日目には根は酸素を求めて土の表面に突き出してアップアップしてくる。窒息しそうになって苦しんでいるのである。その2~3日後、畑根は腐ってゆき、下葉が枯れ始め、イネの葉色も急にさめて夏バテが始まる。根は新たに水根を発生させなければならず、病気入院中のイネ地上部をさらに苦しめ、下葉と遅発分げつの栄養分(デンプン)を新根に送るので犠牲になってゆく。

この状態が強い中干しによる夏落ちイネで、1株30本もあった茎は、穂が出るころには15本ぐらい退化する。下葉が枯れているので新根の水根に送る栄養がなく、刈り取りの時株が引き抜けるような秋落ちイネになってしまう。

水の止まる前にタップリ湛水

夏バテしない、下葉の枯れない水管理は、決して強い中干しをしないこと。水根は水根として、一生空気パイプのある直根水根で押し通すために、中干しは軽く、土中のガスを抜く程度にとどめるべきである。もし不幸にして水田が白乾状態になったら、そのあとは湛水しないで、時々水を走らせる程度の節水管理を続け、酸欠・窒息させないよう根を管理しなければならない。

出穂後は一潅二落の節水栽培で

出穂後の水管理は1日湛水して2日落水、または一湛一落、徐々に畑根を腐らせることなく水根に置き換わってゆくような潅排水を刈り取りまで続けること。

出穂開花時は花水といって充分に水をためないといけないと思っている人が多いが、そんなことをするといっぺんに根の交替が起こり、根がやられてしまう。イネの根にほんとに水が欲しいのは出穂時ではなく、登熟時に入ってからである。

■あとがき

「Ⅴ字型イナ作理論」は歴史が新しいが、「への字型イナ作理論」は古い技術の掘り起こしである。日本2000年のイナ作史のなかの多収技術の復習である。

私のイナ作は年とともに変わりつつある。それは、超省力手抜きから篤農技術へ、そしてまた楽な手抜き?放任栽培へと移しつつある。

手抜き放任捨てづくり、といっても、惰農のやる捨てづくりではない。きめ細かなイネの観察と水管理、田の均平と水漏れ防止、土づくりは他人のマネを許さないほど有機に富んだ深い耕土。こういった基盤に立っての放任栽培である。この放任とは、「余計な肥料を入れない・余計な薬剤を使わない」ということであり、他力とイネの力を信じてほうっておく、ということである。捨てづくりの意味が違うのである。

40年の私のイナ作人生の結果、たどり着いたのは以下のようなことであった。

◎コムギ超多収6石どり(コムギ藁はバクテリアを入れて腐らす)の跡地に、坪33株2本植え(6月下旬)。元肥尿素8キロ、過石20キロ。出穂45日前硫安5キロ。これで施肥は終わり、穂肥なし。防除は殺虫剤粉剤3キロ1回。殺虫剤粒剤5キロ1回。

土づくりは、畜産家に稲わらとの交換で牛糞を反当り5トン毎年振ってもらう。ムギわらすき込みもあるので地力は増加の一途。

(以上、抜粋終わり)

井原氏の40年のイナ作人生の集大成は、有機資材としてコムギに牛糞、それに加えて化学肥料に防除剤と、予想以上に資材多投入だと感じたが、これでも「手抜き放任捨てづくり」とは! 僕自身の認識が大甘すぎるかもしれない。

究極の自然栽培は無農薬・無肥料(有機もできるだけ投入しない)だが、少なくとも自然栽培田の内小さい方の田んぼはあまりにもイネが育たなかった。無肥料では地力がなさすぎると考えられるので、コムギ等の有機物の栽培とすき込みを検討したい。

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